聖霊降臨後第5主日
イエスは「労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われています。このイエスの言葉は、決して私たちの【重荷】を「取り上げてあげよう」とは言われてはいません。私たちがイエスの所に行っても、重荷は無くならないのです。ただ、その【重荷】への見方、受け入れ方が変わるのではないでしょうか。
イエスは、続けて「わたしの心は柔和で、謙遜であるから、わたしの軛を受け入れ、わたしに学びなさい。」と言われます。ここに、私たちが背負っている【重荷】へのヒントがあるのではないでしょうか。私たちは、できれば【重荷】など背負いたくはありませんし、拒んでしまいます。もしくは、仕方なく嫌々ながら背負ってしまっているのではないでしょうか。そのような気持ちで背負っている【重荷】はますます重たく感じるものです。
イエスは、私たちにご自分のような【柔和】と【謙遜】を学びなさい、と言われています。もし、私たちが自分に与えられた【重荷】をイエスの【柔和】と【謙遜】でもって見つめ直す時、その【重荷】に対しての受け入れ方が変わっていくのではないでしょうか。
私たちは、生きていく中で様々な【重荷】と直面し、背負っていかなければなりません、それは自分の性格の嫌な面であったり、自分や親しい人の病気であったり、人間関係であったり、仕事でのトラブルやノルマなど、何かしらのストレスという【重荷】を背負っています。私たちは、それらの【重荷】をイエスの【柔和】と【謙遜】から学び、イエスの軛を【受け入れ】ながら日々の生活を歩んでいくことができたらいいですね。
マタイによる福音書第11章25-30節
2020年7月5日