聖霊降臨後第12主日

「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(マタイ16:21)。今日の福音書の並行記事はルカやマルコにも見られる。いずれの福音書でもこの箇所はパンのしるしの後に置かれている。イエスは自分の福音宣教の危機を感じ取り、弟子たちの養成に力を注ぐ時期が来たと悟る。このときからイエスは自分と弟子たちが進むべき道を見つめなおし、これまでと異なる道を歩み始めた。群衆から離れ、弟子たちだけを伴い、ガリラヤ地方の北、ヨルダン川の源流に位置するフィリポ・カイサリア地方へ退かれる。そこで、イエスご自身が群衆や弟子たちにとって「自分はだれであるか」を確かめる。弟子たちの答えによれば、人々はイエスに対して、旧約の時代から待ち望まれていた終末に来られる預言者というイメージを持っていた。転換期は多くの場合、思いがけなく人生に“起こってくる”ものであり、選択を求められる時である。イエスがここまで選んできた福音宣教とは、父なる神の御心に従い、その“ドリーム”を実現させ、人々のためにアガペの愛とシャロームの平和への道を開くことであった。イエスは一途にこの道を選び続けるが、その道には苦しみが伴い、自分を捨て、十字架を担うべき道になると、今の私たちにも打ち明ける。イエスは、「あなたもこの私の道に従いたいと思うか」と弟子の私たちに問いかける。ペテロはイエスに対して自分の信仰告白を述べる。「あなたはメシア、生ける神の子です。」このことばはマタイの初代教会の信仰告白であろう。こうして、ペテロの口を通すことで、ペテロがこの初代教会の信仰告白の“創始者”であると伝えたかったのであろう。シモンはイエスから新しい名を与えられる。ペトロス(石)・ペトラ(岩)に通じる名を。この名はイエスの“メシア的な共同体”の中での彼の新しい役割を示す。その役割とは教会共同体の土台や礎となることである。信仰の転換期は試練の時であり、成長するチャンスでもあり、それは真の命につながっていく回心と養成へのイエスの招きである。今日、その識別ができるように黙想し、祈り求めたい。

マタイによる福音書第16章13-20節

2020年8月23日