聖霊降臨後第23主日
今日の福音で、イエスは天の国のたとえを10人のおとめと花婿の出会いの物語を用いて語られます。天の国は花婿とおとめの出会いの喜びに似ていて、それは、まさしく、神さまと私たち一人一人の喜びの出会いだと。この話の中で、10人のおとめの5人は賢く5人は愚かだと、イエスは話し始めます。
10人とも灯火を持っているのですが、愚かなおとめは壺に灯火用の油を持っていないのです。また、愚かなおとめが賢いおとめに「油を分けてください」と頼んだときに返ってきた言葉はこうでした。「分けてあげるほどはありません。自分の分を買ってきなさい。」そして、この話の終わりに「目を覚ましていなさい。」と、イエスは言われます。
私たち一人一人と神さまとの出会い。それは、全く個人的な出会いです。私が他の人に、「替えてください、交換してください」とお願いできるようなものではなく私と神様の出会いは、私と神様のかかわりにかかっているのです。おとめたちは花婿に出会いに行きますが、いつ花婿がくるかわからず眠ってしまいます。私たちも、神さまに出会いたいと思いつつ、それがいつなのかわからないと他のことに気をとられ、挙句の果て心の願いも忘れてしまいます。しかし、出会いのイニシアティブは、結局花婿の方にあり、おとめにとって大切なことは壺に油をもって火を灯し続けているかどうか、ということだとイエスさまが教えてくださっているように、私たちと神さまとの出会いも、無条件で無限に注がれている神さまの御心に私たちが気づいているかどうか、にかかっているようです。どれほど、神さまは私たち一人一人を心に掛けていて下っていることでしょう。毎日、一瞬、一瞬。それは、私たちが気付かないほどに多く、私たちの日常に満ちあふれているのです。
神さまの御業は、優しく静かで、私たちの思いを遥かに超えています。
ですから、私たちの心の中に、神さまの御心を思いめぐらす場所がどうしても必要なのです。
心にその場所があれば、私たちはそこで神様と出会い喜びに満たされるでしょう
と、イエスは語っていて下さいます。
マタイによる福音書第25章1-13節
2020年11月8日