聖霊降臨後第15主日
今日の福音で、イエスはたとえで天の国はこういう所だと語って下さっています。このたとえの中に王と家来がでてきます。家来は王に沢山の借金をしていますが、王は家来の辛さを見て憐れに思い、赦し、借金を帳消しにします。
「帳消しにする」というのは、すごいことです。
王自身も、この家来の借金のために辛い思いをしていたに違いありません。しかし、自分の辛さよりも相手の辛さを思う心が遥かに大きく、王は帳消しにします。しかも、全部の借金を帳消しに。このような王の思いは、天の御父の思いだとイエスは伝えて下さっています。
しかし、私たちは自分のいたらなさを神さまから帳消しにして頂き、その恵みの上にさらに恵みを頂いて生きているにも拘わらず、他の人のいたらないところが目に付くと、容易く咎めてしまう弱さを持っています。その私たちの弱さをよく知っておられるイエスは、あえて、このたとえの終わりにこう語り、呼びかけられます。
「わたしがお前を憐れんでやったようにお前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」
イエスにとって憐れみの心で生きるということは、他の人を“自分の仲間と思う”ことにつながることを意味しています。私たちが、イエスの呼びかけに応えることができた時天の国の到来が、確かに、私たちの間にあるのでしょう。
御国がきますように。
御心が行われますように。
天におけるように地の上に
マタイによる福音書第18章21-35節
2020年9月13日