聖霊降臨後第17主日

「徴税人や娼婦の方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。」
律法を守れない徴税人や娼婦たちは神から見放された汚れた罪人で、自分たちこそが神に選ばれた人種だと思っていた祭司長やファリサイ派の人は、イエスのこの衝撃的な言葉をどう聞いたでしょうか。
今日の福音では、「ヨハネが示した義の道を信じた」ことが、父である神の望みに従ったしるしであり、神の国に入る条件とされています。そのヨハネは、何よりも、自分の後に来るイエスの到来を証ししました。そして、イエスにとって、「神に良しとされる人」とは、すべては自分の力ではなく神の恵みによると知って、絶えず感謝する人のことでした。人を裁く資格のない自分の罪深さを自覚して、神に憐れみを乞う人のことでした。その自分を赦して下さる神の大きな愛の中で、その愛を分かち合って生きる人のことでした。社会的な地位も経済的な安定もある安全な所から、日々の生活の苦労に翻弄される「罪深い」人々を一方的に見下す態度は、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ」(マタイ5:45)、「罪人を招くため」(同9:13)にこの世に独り子を遣わされた神の御心から、最も遠い生き方であったと言わざるを得ません。
翻って、私たちの生き方はどうでしょうか。決して泥をかぶらない安全な高みから、詳しい事情も知らない他の人たちの行動を、冷たく裁いたことはなかったでしょうか。あるいは、神様の望みを知りながら、それに沿った行動が出来ずに、目先の保身に走ったことはなかったでしょうか。心当たりがあるとするならば、神が望まれるのは、今日、この瞬間にそれを正直に認めて、神の愛に立ち返る恵みを願うことであることを思い起したいと思います。イエスに従いたいと望む私たちが、一人残らず、徴税人や娼婦の方々の後に続いて、神の国に入ることが出来ますように。

マタイによる福音書第21章28-32節

2020年9月27日