聖霊降臨後第18主日

今日のみことばは、イスラエルの民の指導者に向かって警告を発している場面で、ぶどう園の悪い小作人と地主の譬え話です。地主は、ぶどう園を造って、垣根を巡らし、その中に絞り場を設け、物見櫓を建てて、小作人に貸し与えて旅に出ます。この地主は、小作人が困ることがないように、何から何まで必要なものを全て彼らに準備をされたのです。この地主は、御父です。御父は、イスラエルの民のために困ることがないように、必要なものを全て準備してくださったのです。
しかし、小作人たちは、地主である御父が準備してくださったことを忘れ、自分たちが収穫したものを地主に渡そうとはせずに、地主が遣わした僕たちをことごとく殺してしまいます。彼らは、今の実り状態を手放すことを渋って自分たちのもにします。
ヨハネ福音書の冒頭に記されている言葉の中に「できたもので、み言葉によらずにできたものは、何一つなかった。」(ヨハネ1・3・フランシスコ会訳注聖書)とありますが、私たちは、御父から創られました。私たちは、成功や名誉、地位や富をいかにも自分たちのもののように思い、また、豊さ、心地よい状態を手放すことができないものです。それは、いつの間にか私たちが受けている御父の「いつくしみの愛」を忘れてしまい、あたかも「私がやったのだ」と思ってしまうからではないでしょうか。
イエスの質問に対して人々は「・・・・・季節ごとに収穫を納めるほかの小作人に、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」と答えます。私たちは、自分たちが頂いたものを御父にお返ししなければならないのではないでしょうか。では、どのようにすれば良いのでしょう。それは、自分たちが頂いたものを周りの人のために使うことではないでしょうか。そうすれば、御父は、さらにますます豊かな恵みを私たちにくださることでしょう。
私たちは、いつも謙遜な心で御父から頂いた恵みを感謝のうちにお返しすることができたらいいですね。

マタイによる福音書第21章33-43節

2020年10月4日