降臨節前主日

今日の旧約聖書、エゼキエルの言葉にあるように、私たちの神は、「自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする」方です。神は、「失われたものを尋ね求め」、「傷ついたものを包み、弱ったものを強く」して下さいます。その神から遣わされた独り子であるイエス・キリストは、この世で、病人を癒し、やもめを励まし、空腹の人を満たし、罪人をゆるし、人生に迷う人には歩むべき道を力強く説かれました。暗闇で絶望し孤立していた人間たちに、あなたたちは神の子であり、父である神の貴い宝物であって、癒され、励まされ、満たされ、ゆるされ、正しい知識を伝えられる価値があるのだと、命を賭けて伝えて下さったのです。そしてその生涯の終りに、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)という「遺言」を残されました。
愛である神からすべてを頂いて、ゆるされ、満たされ、支えられていることを知っている者は、この地球上のすべての人が、その神を父とした兄弟姉妹であることを知っています。一人ひとりが神の大切な宝物であることを知っています。その大切な兄弟姉妹が飢えていたら、何の迷いもなく、食べさせるでしょう。病気であれば、見舞うでしょう。裸ならば、着せるでしょう。それが、イエスが説いた「神の国」であり、神を父とする血縁を越えた真の家族なのだと思います。
その神の国、真の家族の一員である幸いに気づいているかどうか。その恵みを生きているかどうか。今日の福音のメッセージは、その問いかけに尽きる気がします。今日の朗読を味わいながら、この私に注がれている神の愛の深さを改めて有難く受け止め、その愛を分かち合う人生の幸いを悟って、実際の行動に表していく恵みを、心から願いたいと思います。

エゼキエル書第34章11-17節、マタイによる福音書第25章31-46節

2020年11月22日

主日の福音から

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