降臨節第2主日
私たちにとって、【罪】とはどのようなものなのでしょうか。私たちは、よほどのことがない限り法律に背くような【罪】は犯しませんが、私の心の中を神からの目で眺められたときどこかに後ろめたい部分かあるのではないでしょうか。
みことばは、神から遣わされた「洗礼者ヨハネ」への使命として、「……主の道を整え、その道をまっすぐにせよ」と伝え、イエスが来られる前に人々が回心するように呼びかけている姿を『イザヤ書』の引用を記しながら表されています。
私たちは、残念ながら【原罪】によってどうしても、アダムとエバがイチジクの葉で体を隠したように【罪】を意識する部分があります。洗礼者ヨハネは、自分を覆わなければ神を見ることができない【私】に、「まっすぐな心」になって主であるイエスを迎えるようことができるように【回心】を呼びかけているのではないでしょうか。
洗礼者ヨハネの声を聞いて、ユダヤの全地方、またエルサレムに住むすべての人がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けます。彼らは、洗礼者の声が琴線に触れ、何かしらの自責の念にかられ、苦しみから解放されたい、「今のままの生活では救われることができない」と真剣に自分の心の中を振り返りながら思ったのでしょう。
洗礼者ヨハネの声は、私たちの耳にどのように響いてきているでしょうか。私たちは、その声にどのように応えようとしているでしょうか。心を静かにしてその【声】に耳を傾け、神へのまっすぐな道を歩むことができたらいいですね。
マルコによる福音書第1章1-8節
2020年12月06日