復活日
「復活」と聞くとき、私たちは何となく嬉しい感じがします。「主の復活」の日は毎年変わりますが、季節は「春」を感じさせます。
では、今までイエスと一緒に過ごした人たちはどうだったでしょうか。福音書の中に書かれている【復活の朝】の場面で共通するのは、女性たちが最初に【空の墓】を見ることです。その中でもマグダラのマリアは、四福音書の全てに出てきます。弟子たちは、ユダヤ人たちが怖くて家に閉じこもっていました。
彼女たちは安息日が終わるのを待って、それも「日が出る」とすぐ香油を持って墓に行きます。彼女たちはイエスを愛していましたから、イエスが亡くなった悲しみもあったことでしょうが、これはそれよりも、香油を塗って御父がいる場所へ送ってあげたいという愛の表現だったのでしょう。
しかし、墓に入った彼女たちは、真っ白な長い衣をまとった若者が座っているのを見て、非常に驚きます。そして、若者は彼女たちに「驚くことはない。……あの方は復活なさって、ここにはおられない」と伝えます。彼女たちはわれを失うほど恐れおののき、墓から飛び出し逃げ去ってしまいます。彼女たちは、イエスに香油を塗ってあげようという一心で墓に行ったのにもかかわらず、若者との出会いによって、それは「恐怖」に変わってしまいます。
私たちは、「イエスが復活された」ということを知っていますし、復活祭を迎えると喜びで心の中が「ワクワク」してきます。お互いに、「ご復活おめでとう」と挨拶をします。しかし、空の墓を見た彼女たちや弟子たちが感じたのは、喜びではなく「驚きと恐れ」だったのでした。「イエスの復活の神秘」を知ることは、御父の恵みであり、聖霊の働きがなければ「復活の喜び」を感じることができないのではないでしょうか。みことばを味わいながら、「復活されたイエス」と出会った【私】を振り返ってみるのもいいかもしれません。イースターおめでとうございます。
マルコによる福音書16章1-8節
2021年4月4日