降臨節第1主日
この箇所では、「太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。・・・そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る」と語っています。これは世の終わりのありさまでしょうか。それとも私の死の瞬間の場面でしょうか。
このみことばを「今の私」が受け取り祈ってみました。天体の恐ろしい徴や海が荒れ狂う様子は、私が罪に陥ったときの「なすすべを知らず、不安に陥る」心のありさまそのものです。しかし、みことばは「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」と語ります。神は私が罪を犯し、不安や恐れで苦しんでいるとき、すぐそばに来てくださるのです。驚きと感謝。そして、この事実を心にとめず、神への信頼を育ててこなかった自分の不信仰を思い知らされました。
私たちは罪を犯し、その苦しみのただ中にいるとき、現存する神が自分のすぐそばにいてくださると感じることができるでしょうか。こんな罪深い私など、神はお見捨てになるにちがいないと思い込み、うつむいているのではないでしょうか。荒れ狂う海に沈みそうになるとき、「身を起して頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」と神は言われます。苦しみは神との出会いの場、解放の時なのです。しかしそのとき、自由意志によって、身を起こし、頭を上げるのは、私たち一人一人なのです。
続いてみことばは「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい」と語られます。そのようなとき私たちは、身を起こすこと、頭を上げることができなくなるということではないでしょうか。だから「いつも目を覚まして祈りなさい」と教えてくださいます。
ルカによる福音書21章25-31節
2021年11月28日