顕現後第4主日

ある信者さんから「神様って本当にいるの。あなたは神様がいることを信じているのですか」と質問されたことがあります。私が不思議そうな顔をしていると、「神様は、私が一生懸命に祈っているのに全然叶えてくれません。だから、ここ数年間教会にも行っていません。」と言われるのです。
確かに、神様は、私たちの祈りを聞いてくださいますが、私たちの祈りの通りに叶えてくださることをなさいません。その方が、どのようなお祈りをしたかは、詳しく聞きませんでしたが、神様は、きっとその方に相応しいお答えをくださったことと思います。きょうのみことばは、イエスがナザレに帰られ会堂で人々に話される場面です。きょうのみことばの前に、イエスはイザヤ書を朗読なさいます。そして、人々の目がイエスに注がれる中「この聖書の言葉は、あなた方が耳にしたこの日、成就した」と話されます。このことは、イエスが先に読まれたイザヤ書に関係があるようです。イエスは、貧しい人に福音を伝えるため、囚われ人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、抑圧されている人に自由を与えるためにおん父から遣わされました。人々は、イエスの恵みに満ちた言葉に驚き、「これは、ヨセフの子ではないか」と言います。ナザレの人たちは、イエスがどのように生まれ、育ったかを知っていました。この言葉の裏には、イエスに対しての軽視的な偏見のような意味が含まれているのではないでしょか。そのために、イエスが言われた「この聖書の言葉は、あなた方が耳にしたこの日、成就した」という意味を素直に受け取ることができなかったようです。残念ながら、人々は、イエスをメシアとしてみることができなかったのです。イエスは、自分の助けを必要としている人には、惜しみない愛を持って癒してくださいます。しかし、利己心や自分本位な祈りには、聞き入れてくださいません。ナザレの人々は、イエスがなさってきた【奇跡】を見ることができるのではないかという好奇心、まるでイエスを特別な能力を持った人としてしか捉えていなかったのでしょう。みことばを深く味わいながら、今一度私たちの祈りの意向を振り返ることができたらいいですね。

ルカによる福音書4章21-32節

2022年1月30日

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