顕現後第6主日

今日の福音でイエスが私たちに語られる言葉、一つ一つの言葉にじっくり耳を傾けてみたい。
「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」
「今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。」
「今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。」
大勢の弟子とおびただしい民衆があちらこちらから来ていた、とルカは語っています。
私たち、皆が等しく、人生の歩みの中で幸いを求めて生きていると言えるのでしょう。
しかし、イエスの言う“幸い”は、世間一般的な幸いとはずいぶん違います。逆の価値観だと言えるでしょう。
どうしてイエスは、このようなことを告げられるのか、と思いながらイエスのみ言葉を心の中で繰り返し唱えていると、あるお祈りの言葉が懐かしく心に浮かびあがりました。
「限りなく人々を慈しまれたイエスのみ心
人皆が救われますように。
限りなく人々を慈しまれたイエスのみ心
愛と正義のうちに世界を平和で満たしてください。
限りなく人々を慈しまれたイエスのみ心
信じる人々の迫害者にも、弱い人を圧迫する人にも、あなたの愛が勝ちますように。」
限りなく人々を慈しまれるイエスの愛。
その愛が、今日語られている“貧しい人”“飢えている人”“悲しむ人”の上に注がれている。
私の隣にいる貧しく、飢えていて、悲しんでいる人の中に、イエスの愛が注がれている。また、私自身の中にある貧しく、飢えたところ、悲しんでいるところにイエスの愛が注がれている。限りなく、いつも。
この幸いを、告げ知らせに来てくださったイエスに、深く感謝したい。
また、この幸いに心の目を向けて、毎日、日常の小さな生活を大切に生きていけるように、祈り、恵みを願いたい。

ルカによる福音書6章17-26節

2022年2月13日

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