顕現後第7主日

今日の福音朗読箇所を要約すれば、「いと高き方は情け深い、あなたがたの父は憐れみ深い」という文章にまとめることができるかもしれません。特に注目すべきことは、イエス・キリストが神のことを「あなたがたの父」と呼んでおり、弟子たちにとっての神との関わりの責任を問う姿です。イエス・キリストは弟子たちを導いて積極的な生き方を実現させようとしています。愛することや赦すことは、神のわざなのであり、弟子たちも神の子どもとして神と同じわざを生きるように招かれていることを、イエス・キリストが示そうとしています。このイエス・キリストの呼びかけは、今日の私たちの心にも響きます。私たちもまた弟子たちと同じように神の子どもなのであり、弟子たちが担った責任ある積極的な愛と赦しを生きる道に招かれているからです。
ダビデは、嫉妬心にかられたサウルからいのちを狙われます。しかし、ダビデは決してサウルに仕返ししませんでした。むしろ、神の愛の道をたどろうと努めました。ダビデは、かなり悩み苦しんだかもしれませんが、最終的にはサウルを殺しませんでした。ダビデは神の愛や赦しを、身をもって生きた神の子どもであったのです。
使徒書では、使徒パウロが人間の二重性を説いています。まずは土からできているというアダムの子孫としての在り方、次にイエス・キリストが実現してくださった、救いによって天に属する者として生きる在り方、です。パウロにとって、あらゆる人は地上の限界のある物質的な状況で生きている者でありながら、次第に天に属する在り方へと前進してゆくべき者として描かれています。
人間は常に地上的な現実生活の悩みをかかえながらも、神の愛や赦しを学んで、天に属する者としての在り方へと進むための葛藤と闘いをつづけています。ちょうどダビデが苦悩していた時のように。しかし、ダビデが証ししてくれたように、人間は神の子どもとしての生き方を貫いて善を行えるのです。そこに希望があります。このように考えると、苦悩や葛藤は、希望ある神の愛や赦しの姿へと変容させられる人間の成熟のための出発点であることがわかってくるようになるのです。

ルカによる福音書6章27-38節

2022年2月20日

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