大斎節第1主日
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」ということわざがあります。これは、「深い愛情を持つ相手にわざと試練を与えて成長させる」という意味です。おん父は、私たちに愛に満ちた【試み】をくださる時もあるのかもしれませんね。
きょうのみことばは、イエスが悪魔によって試みを受けられる場面です。イエスは洗礼を受けた後、聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになり、その後、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、40日間、悪魔の誘惑を受けられます。
ここで疑問に思うのですが、なぜ、聖霊はわざわざイエスを連れて悪魔の誘惑を受けさせたのでしょうか。洗礼を受けられたイエスは、聖霊に満たされているので、すぐにでも福音宣教へと向うことができたのではないでしょうか。もしかしたら、これはおん父の愛なのかもしれません。おん父は、イエスをこの世に遣わすにあたって人として悪魔の誘惑を経験させられたのではないでしょうか。「空腹」「権力」「繁栄」は、私たちの【エゴ】をくすぐるものではないでしょうか。悪魔は、創世記の中で蛇が「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ」(創世記3・5)とあるように、私たちの【ツボ】をうまく刺激して、おん父から引き離そうとします。
おん父は、イエスに対して人が最も弱い部分【エゴのツボ】に悪魔を使って試みられたのでしょうか。それは、おん父の愛の表れで、イエスが私たちの弱さを知るためなのかもしれません。イエスは、おん父への信頼のうちに【みことば】を使って悪魔の誘惑を退けられました。イエスは宣教する前に、私たちが陥るであろう、悪魔の誘惑を体験され、私たちが誘惑に陥らないように模範を示されたのではないでしょうか。
イエスは、聖霊と共におん父の愛を十分にいただき、福音宣教に臨まれます。私たちは、なぜこんな誘惑(試練)を受けるのだろうかと感じることがあります。もしかしたら、おん父が私たちを強くするための一つの愛の表れなのかもしれません。私たちは、聖霊と共におん父の愛に応えていくことができたらいいですね。
ルカによる福音書4章1-13節
2022年3月6日