顕現後第2主日

主イエスは光としてこの世に来ました。それをイザヤ書が前もって証ししました。預言者は神の呼びかけを敏感に感じ取る恵みを受けていました。それゆえ、イザヤも預言者のひとりとして、救い主の役割を前もってイスラエルの民に知らせていたのです。
使徒パウロは、常に大切な相手に対して神からの祝福を伝えました。コリントの教会共同体の信徒たちに対して、パウロは神による祝福のあいさつを贈ります。この聖書箇所は、まさに聖餐式の参入に当たる部分で、私たちもまた、コリントの信徒たちと同様に聖餐式にあずかるたびに使徒パウロのまごころをかみしめているのです。
使徒ヨハネの共同体がヨハネ福音書を編纂することで伝えてくれているように、主イエスは神の小羊としてあらゆる人の罪深さを清める働きをしています。イエス・キリストが活躍しはじめるよりも前に、洗礼者ヨハネはヨルダン川でイスラエルの民に対して清めの洗礼を授けていました。しかし、洗礼者ヨハネは自分自身の限界をじゅうぶんにわきまえていました。後から来る救い主こそが、まことの清めを実現する実力のあるおかたである、ということを洗礼者ヨハネは自覚していました。
まことの清めは人間の努力によるものではなく、むしろ神の聖なる愛の力としての聖霊の支えによって成り立つものなのです。その聖霊を最もじゅうぶんに相手に伝えるのが神の小羊としての救い主イエス・キリストなのです。イエス・キリストはいけにえとして小羊のように全身全霊を神に捧げて、あらゆる人の罪深さをあがなったのです。いのちがけで。小羊の血で洗って白くする、という発想がヨハネの黙示録にも出てくるのですが(ヨハネの黙示録7:14)、まさにいけにえとしての小羊による洗い清めの意味を教えてくれる呼びかけがひびきます。
私たちひとりひとりも神から特別な役割を与えられて生まれてきます。そして私たちは出会う相手を祝福しつつ、相手の限界をつつみこんで支えるように、神から期待されているのではないでしょうか。

ヨハネによる福音書1章29-41節

2023年1月15日

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