聖霊降臨後第19主日
今日の福音で、イエスはぶどう園を作って農夫たちに貸した家の主人のたとえを語られます。
この家の主人は、ぶどう園を農夫たちに貸して旅に出た後、収穫の時期に僕たちを農夫たちのところへ送られます。 収穫を受け取るためです。
しかし、農夫たちは送られてくる僕たちを次から次へと殺し、最後には、主人の大切な息子も殺してしまいます。どうしてでしょうか。
ぶどう園の収穫も、また、主人の相続財産も、自分たちのものにしたかったからです。
このイエスのたとえ話をききながら、私も自分の日々の生活の見直しをするようにと促されます。
私の今生きている場所、仕事、与えられている人々との関わり、全ては自分のものというより、神から与えられ、授けられているものです。
その与えられた場所の中で、神から注がれるいくつものいくつもの恵みをいただいて私は生きています。
日々の恵みも、生活の中での実りも、神からいただいたものなので、神にお返しすべきなのですが、神の存在を思わないでいると、全てを自分のものにしてしまいたくなることがあるのかもしれません。
そうすると、神の国から遠くはなれてしまいます。
神の国への近道、それは、日々の恵みの実りを自分のものにせずに、絶えず絶えず、神に感謝して神にお返ししていく道のように思います。
そうすると、自分の目には何か大切なものを捨ててしまうように思えるかもしれませんが、実は、神の国の大切な隅の親石になることなのだと、イエスが教えてくださっています。
マタイによる福音書21章33-43節
2023年10月8日