聖霊降臨後第9主日

イエス・キリストは、派遣先から帰ってきた使徒たちの報告を聞いたあとで、彼らを先に休ませようとします。そして、イエス・キリストは「飼い主のいない羊のような有様」の群衆のことを気にかけます。つまり、イエス・キリストは使徒たちや人々のことをすべて理解しており、大切にしています。
しかし、ふつうは、「自分の協力者」と「群衆」との両方を気にかけることは、なかなか難しいものです。なぜならば、イエス・キリストと同じように、あらゆる人の状況を瞬時に察して、まんべんなく支えるだけの度量の広さを人間は持ち合わせてはいないからです。

しかも、エフェソ書の内容を読めばわかるように、イエス・キリストは私たちと敵対者とのあいだの仲たがいをも調停して解決する「平和の主人」です。そして、イエス・キリストは預言者が預言していたような「救い主」として、あらゆる人を支えるまことの牧者でもあります。平和をもたらす救い主として働くイエス・キリストは使徒や私たちを仲間として大切に指導してくださいます。

わけへだてなく、あらゆる人を世話する寛大なイエス・キリストのすがたが聖書全体から伝わります。これこそが、平和をもたらすイエス・キリストの姿勢に他なりません。こうして、相手を深く憐れむイエス・キリストの本気の愛情の示しかたを理解したうえで真似することがキリスト者ひとりひとりの目標になります。相手を深く憐れむということは、相手の身になっていっしょに物事を感じ取って生きる関わりかたです。相手のことを自分のこととして生きる真剣さがあるときに、私たちもイエス・キリストと同じ姿勢で相手を活かすことになります。

イエス・キリストとは、果たしてどのようなおかたなのかを理解するために本日の朗読箇所は非常に役立ちます。そして、私たちも同じ道を進むようにイエス・キリストから招かれていることをも再確認したいものです。

マルコによる福音書6章30-44節

2024年7月21日