顕現後第2主日

聖母マリアは、相手の状況を常にながめています。気配りの人として生きた聖母マリアの思いやり深いやさしさが、今日の福音書の朗読箇所には見事に描かれています。「ぶどう酒がなくなりました」という簡潔なひとことで、聖母マリアは新婚夫婦の行く末を案じてキリストに状況を伝えます。そして、聖母マリアは「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と召し使いたちに耳打ちします。先回りして、次々と手を打ってゆくあざやかなさりげなさが、聖母マリアの人助けの際の独自の手法です。
聖母マリアによる、キリストと召し使いたちに対するひとことは単純素朴なもので、物事の要点だけを過不足なく、じゅうぶんに伝えています。洞察力と鋭い対処能力は目立ちませんが、あらゆる物事を円滑に運ぶ影の力となっています。聖母マリアによる支援の仕方は、私たちにとっても学ぶべき理想的な態度です。
聖霊は望むままに、ひとりひとりに対して適切な能力を授けます。花婿が花嫁をよろこびとするように、相手にすべてを捧げ尽くすことのしあわせ感が生じるのは、聖霊の働きによるものです。聖母マリアは、まさに聖霊に満たされて生きていた信仰者です。聖母マリアは相手のしあわせだけを真剣に願って動きます。年老いたエリサベトを助けに出向いたときも、同様でした。そしてカナの婚宴の際も、新婚夫婦のしあわせを願って陰で動いていました。ちょうど聖霊が常に陰にかくれて相手を活かすように、聖霊に満たされた聖母マリアもまた陰にかくれて相手を活かす働きをつづけます。常に相手を立てて、信頼してまかせる姿勢の重要性は、聖母がキリストに全幅の信頼を寄せて万事をまかせきっていたことからも明らかに見えてきます。花婿と花嫁は相手に信頼して支え合うときに、しあわせになれます。自分のすべてを捧げて相手を支えるという利他の姿勢こそが、協力関係を強めて徹底的な安心感を生み出します。その安心感に裏打ちされたしあわせの感覚が、聖書に頻出する「よろこび」なのでしょう。

ヨハネによる福音書2章1-11節

2025年1月19日

主日の福音から

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