復活節第2主日
「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、『わたしたちは主を見た』と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。』」
子供のころから素直ではないから、時々、母親から「不信仰のトマスみたい」と言われたことを思い出す。でも、今日の福音の話を読んで、弟子のトマスは本当にそんなに不信仰だったのかなと、思い巡らしている。もし、自分のベスト・フレンドが三日前に殺され、残酷に十字架上で亡くなったなら、仲間たちが「あなたのベスト・フレンドは生きているんだよ」と言っても、すぐ素直に信じられるだろうか?
特にトマスのように、先生としてイエスを尊敬し、彼を愛していれば、安っぽい慰めのような仲間の言葉を信じたくなかっただろう。 それは不信仰というよりも、イエスとの深い愛情の絆を示していると思う。イエスが亡くなったという“損”がトマスにとってあまりにも大きく、重かったので、その死を真剣に受け止めざるを得なかったのだ。
「弟子たち」はユダヤ人を恐れて閉じこもり、自分たちの家から出られなかった。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。復活したキリストが、自分の手とわき腹の傷跡を見せてくれ、シャロームの平和の言葉を弟子たちに語りかける。
八日目の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいたときに、復活したイエスが再び来て、真ん中に立つ。イエスはもう一度「不信仰のトマス」のために来られる! 復活したイエスは自分の手とわき腹の傷跡を見せて、平和は安っぽいものではなく、受難と十字架をとおしてもたらされるものであることを示す。トマスとの再会を通して、主は、私たちにも呼びかけられる。「これから、信じない者ではなく、信じる者になりなさい。 わたしのゆるしと平和の証人になりなさい」。
ヨハネによる福音書20章19-31節
2025年4月27日