聖霊降臨後第6主日

姉のマルタは妹のマリアを理解できませんでした。姉は自分にこだわり過ぎるあまり、妹の状況をわかろうとはしていなかったからです。自分だけを見て生きている人も、姉のマルタと同じ不満をいだきます。つまり、自分だけが頑張って働いているだけで、まわりの他の人々は何もしていないと考えて、怒りを感じるわけです。姉のマルタはイエス・キリストから注目を浴びたかったのです。マルタは、「自分がこれだけ頑張っておもてなしをしているのだから、早くイエス・キリストに気づいてほしい」と、心の底から願っていたのでしょう。しかし、いつまでたってもイエス・キリストが何も反応しないので、姉のマルタはしびれを切らせてイエス・キリストの耳元で不満を述べました。姉が妹に対しては直接何も言わなかったことから推測すると、マルタがイエス・キリストへのあてつけの気持ちを強くいだいて、くやしさを爆発させたことがわかります。しかし、イエス・キリストは「マルタ、マルタ」と愛情深く名前を呼びました。相手を大切におもうイエス・キリストの心が伝わります。そしてイエス・キリストは「マリアは、良いほうを選んだ」と述べました。まだまだ人間的に成熟していない状態の妹のマリアは、まずはイエス・キリストのそばで過ごすことで、アドヴァイスを受けてから、次第に他者をもてなすことの意味に気づくようになり、ようやくもてなしの働きをする段階に達することになるからです。姉のマルタは、すでに相手を気づかって丁寧にもてなすための働きかたをわきまえているという点で成熟しているので、その歩みをそのまま続ければよいだけで、初心者と自分を比較して嘆く必要はないわけです。姉のマルタは自分が進むべき奉仕者としての意味のある道に突き進まずに、イエス・キリストが振り向いてくれないことに怒りを感じたり、初心者の妹に嫉妬しており、自分の良さを忘れていたわけです。今日の私たちもイエス・キリストの気を引こうとして、なじるような言葉でつぶやいたり、他の人の現実を見ようとはしない場合があります。しかし、いまや、自分の姿勢を正して、相手に心を開いてゆきたいものです。

ルカによる福音書10章38-42節

2025年7月20日