聖霊降臨後第8主日

欲と言うのは、ある程度は必要なものです。たとえば、「食欲」がないと人は、栄養が取れなくて病気になってしまいます。もし、「愛欲」がなければ、人を愛することができず、自己中心となり、人との交わりがうまくできません。しかし、中国の故事に「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」とありますように、過度の欲や不足な欲よりも少々慎んだ方がいいのだということもあります。
今日の福音は、自分の倉を壊して新築するほど豊作になったある金持ちのたとえ話の場面です。イエスの所に自分にも遺産を分けてくれるように、と言う青年が来るところから始まっています。それに対して、イエスは、「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」と言われ、それから、「ある金持ちの畑が豊作だった。……」とたとえを語られます。
この人は、もうすでに【金持ち】だったのですが、【豊作】により、さらに財産を得ることができたのです。当時の考えでは、財産が豊かにあるというのは、神からの祝福された結果だと思われていたようです。ですから、彼も倉を建て直すほどの財産を得たことを誇りとしたのでしょう。しかし、神は彼に対して「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われます。
なぜ、彼は「愚かな者」と言われたのでしょうか。それは、彼が「こう自分に言ってやるのだ。『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ、ひと一休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』」と言って【自分】の楽しみのために財産を使おうとしたことではないでしょうか。
パウロは「……悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない」と厳しく言っています。敵は、私たちの小さな油断に入り込み、おん父から遠ざけようとします。私たちは、イエスが言われるように「自分のための富」ではなく、むしろ「富を天に積みなさい」とありますように、周りの人のために使うことができたらいいですね。

ルカによる福音書12章13-21節

2025年8月3日