聖霊降臨後第14主日

羊・銀貨。――これらは、二千年前のイスラエル民族にとって最も大切な宝ものです。羊からは羊毛を刈り取り、糸としてつむぎなおしてから衣服をしたてます。また、羊の肉を焼いていのちをつなぐことができます。銀貨は日用品を購入するために必要不可欠でした。ルカ福音書に出てくるイエスのたとえ話のなかでも、「見失った羊・銀貨」という発想は、イスラエル民族にとっては心にしみるほど身近なものだったのです。大切なものは、失ってはじめて、大切におもえるようになります。そして、大切なものを見失ったとしても、あとで発見したときのよろこびは、あまりにも大きなものとなるのです。ところで、羊や銀貨を探し求める登場人物のあわてぶりは、はたから見ると、あまりにも滑稽なものに見えます。「なにも、そこまで探さんでも、よいじゃないか」という失笑を買う場合もなきにしもあらずです。たとえば、プラモデルづくりを趣味にしている人が、小さな部品を見失ったとします。そばで見ている人にとっては、そんな小さな部品が無くなろうがどうでもよいことのように思えますが、プラモづくりに徹している人にとっては大切きわまりないことなのです。しかし、私たちも、それぞれのこだわりがあります。人から笑われようが、大切なもの、探さねばならないものが、たしかにあるのです。神にとっては、実は、「失われている宝もの」とは、「あなた」なのです。神は、いまも、いつも、「あなた」を探しつづけています。神は、失われたあなたを求めて、必死で探し回っています。あわてふためく神。「あなた」を探しつづけて、全力を尽くして消耗しきっている神。――これは、ありがたいことです。感謝するしかありません。ただ、ひたすら感謝するしかないのです。神は、「災いを思い直します」(出エジプト32・14)。常に、「あなた」を助けようとするのです。神が、「あなた」を発見したとき、そのよろこびは、大宴会を開いて大盤振る舞いをするほどのうれしさをともなっています。イエスが民衆に物語った「見失った羊・銀貨のたとえ話」とは、実は、「あなたを迎え入れる神の抑えきらないほどのよろこび」を表現するものだったのです。

ルカによる福音書15章1-10節

2025年9月14日