「実りの秋をひかえて」

記録的な暑さが続いた夏でした。6月から暑い日が続いて、いまだまだまだ続いています。皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか。

9月に入って、 実りの秋を迎えようとしています。このペテロ教会には様々な食物が実っています。特に、昨年からぶどうはとても甘く、美味しくいただいています。

この時期は、農作物の出来が心配される昨今ですが、わたしたちの心の畑にも目を向けましょう。そのために、唐突に感じられるかもしれませんが、聖書を開いて、イザヤ書5章にある、ブドウ畑の歌を味わってみましょう。こんなふうに始まっています。

「わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、よいぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を建て、酒ぶねを掘り、 良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。・・・わたしがぶどう畑のためになすべきことで何か、しなかったことがまだあるというのか。わたしは、良いぶどうが実るのを待ったのに、なぜ酸っぱいぶどうが実ったのか。・・・」

預言者の目に映った、神のぶどう畑であるイスラエルの姿です。それは、イスラエルの主である神の期待に応えることなく、打ち捨てられようとしているぶどう畑を惜しむ嘆きの歌です。

 「わたしのなすべきことがまだあるというのか」と言われた神は、最後にその愛する御子イエスを遣わしてくださいます。そしてその御子は、このように呼びかけられます。

「わたしはまことのぶどうの木。わたしの父は農夫である。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができな い。・・・」(ヨハネ15・1~)。

わたしたちが自分の力で結ぶ、酸っぱいぶどうではなく、御父が求めておられる良いぶどうの実を結ぶことができるよう、わたしたちの幹である主にしっかりと結ばれていることができますように。

刈入れのときは近づいています。 今年のように大変厳しい暑さが続いた夏のように、でもそのときに耐えて、豊かな実を結ぶことができるよう、主に結ばれていましょう。

そのために、わたしたちを招いている主の食卓に集わせていただきましょう。みことばと主が与えてくださるいのちの糧に養われて、豊かな実を結ぶことできますように。

2025年9月14日発行
西宮聖ペテロ教会 教報ともしび 第185号