聖霊降臨後第23主日

忍耐することは、いのちを得ることです。しかし、その忍耐は自分の都合を押し通すためではなく、むしろ真実を生き抜こうとする奉仕の姿勢にもとづかなければなりません。自分の立場にしがみつかずに、ひたすら真実を生きようとして身を捧げる、いさぎよい「ゆだね」の態度こそが忍耐することの根底に潜む人間の生き方なのです。
忍耐することは、自己中心的な態度をかなぐり棄てて、ひたすら神と隣人に奉仕して、心を開く態度にもとづくものなのであり、ちょうど太陽の熱が幅広く拡散するのと似ています。それは、まさに第一朗読で「義の太陽が昇る」というイメージで語られていることに等しいものです。神の慈愛深さに満たされた真実さが「義」なのであり、神の慈愛の拡がりがあらゆるものを照らし、あたためることが、あらゆる人を悪の束縛から解放することにつながります。真実が失われた世界において忍耐するキリスト者は、神の慈愛深さの拡散を真似するかのように、悪意ある他者をも照らし、あたためます。
使徒書で「身をもって模範を示す」という聖パウロによる姿勢が紹介されています。この姿勢もまた、自己中心的な態度をかなぐり棄てて、ひたすら神と隣人に奉仕して、心を開く態度を確認するためのものです。聖パウロもまた忍耐づよく生きたキリスト者でした。その姿勢は御父の温情や御子の寛大なゆるしを、私たちに思い出させます。

ルカによる福音書21章5-19節

2025年11月16日