聖霊降臨後第18主日
イエスは、二人の息子のたとえを用いて、祭司長たちや民の長老たちの心のかたくなさを指摘されます。父親は、兄弟それぞれの所へ行き、「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言われます。それに対して兄は「いやです」と答えますが、後で考え直して出かけました。この姿は、洗礼者ヨハネが「悔い改めよ。天の国は近づいた」と義の道を示した時、それを聞いて信じ、回心した徴税人や娼婦を思いおこさせます。一方、「お父さん、承知しました」と答えながら、出かけなかった弟は、洗礼者ヨハネが示した義の道を拒み、回心しなかった祭司長や民の長老たちを思わせます。 そのうえ彼らは、回心し神の義の道を歩み始めた人たちの姿を見ても、また宣教するイエスのそばにいても、後で考え直して回心することはなかったのです。
父の声を聞き、その日のうちに回心した兄と、後で考え直すことがなかった弟。この二人の姿を祈っていると、「私は神の声を聞き分けているだろうか。それ以前に神の声を聞いているだろうか」と思い巡らしていると、「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)というイエスの姿が浮かんできました。イエスは神でありながら祈り、御父の声を聞き、それに従っておられたのだと気づき、そのへりくだった姿と御父への従順を感じ、それを心にとどめました。そして、このイエスの姿に倣うことで、私たちに神の声を聞き分ける恵みと、後で考え直す恵みをいただけるのではないかという気づきをいただきました。毎日、決めた時間に、静かな同じ場所で、神に信頼し謙遜に祈り続けることで、神の声を聞き分け、神の望みを知り、それに従いながら今を生きる者となる恵みを願います。
マタイによる福音書21章28ー32節
2026年9月27日

