降臨節第1主日
11月も終わりに近づき、これから本格的な冬になろうという日曜日。こんなにも寒くなることに不安を感じる降臨節を迎えるなんて誰が想像しただろうか。去年の今頃はバタバタしていた。あぁ、あっという間に1年賀終わった感じ。降臨節に入り、クリスマスだね、もう一年も終わってしまう。救い主の誕生の出来事を置き去りにしていたように思う。しかしそれも、実はとても平和だったのだということに今更ながらに気づく。それほどまでに特別な一年を生きている。
寒くなれば、新型ウィルスが活発に活動する。人の目には見えないこのウィルスは人のからだに寄生することによって増殖し、生き延びることができるのだ。寄生された人間の体力が落ちていたらウィルスの思いのまま、あっという間に人間にとっては苦しい発症というプロセスを歩まねばならない。世界中で多くの人々が苦しんでいる。
たしかに、コロナウイルスなんて、去年の今頃は知らなかった。自分の思いのまま、活動していた。そして、狐につままれたように今、見えないウィルスを恐れてからだをこわばらせ、縮こまっている。このようなわたしの日常に降臨節が訪れるということ、これは紛れもない事実である。
今日の福音をもう一度、ゆっくりと、声を出して朗読してみよう。
他者と距離を置いて、家の中に閉じこもっている自分だからこそ、この福音から聞こえてくるメッセージがある。実は、このような孤独の中にある自分自身の内面に響くメッセージは、思いのまま活動していた去年より深く響いてくるのではないだろうか。
「目を覚ましていなさい」。
今年の降臨節の第一日目、今日、聞こえてくる「目を覚ましていなさい」というメッセージは何を意味しているのだろうか。どのような世界の中で目を覚ましていなければならないのか。目を覚まして、この目で何を直視するようにと言われているのだろうか。
マルコによる福音書第13章33-37節
2020年11月29日