大斎節第2主日

今日の福音は、弟子たちにとって信じられないほどショッキングなものでした。「エルサレムに行く、そして多くの苦しみを受けて殺され、3日目に復活する」という内容でした。ペトロは心の底からイエス様のことを心配し、「どうか、そのようなことはおっしゃらないで下さい」と頼んだのです。しかし、イエス様はその時のペトロに対して、「サタン」と呼んでペトロの人間的な思いの限界に厳しい注意を与えられました。ペトロは、ようやくイエス様を「メシア、生ける神の子」と告白した直後に、今度は奈落の底に突き落とされます。イエス様は、メシア、生ける神の子だからこそ、苦しむしもべの姿で新しい契約を打ち立てなければならないという使命について、これからエルサレムへの旅の途上で弟子たちに話され、またそれを受け入れるように弟子たちを教育されるのです。ペトロは、これでようやく一人前として認められたと思った瞬間、実は新しい段階、すなわち苦しむしもべとしてのメシア=キリスト=神の子の道を学び始めなければならないのです。しかもこの道はイエス様だけではなく、イエス様を信じるすべての人が歩まなければならない道なのです。それは「狭い、けわしい道」です。人間の意志や努力だけでは決して理解しえない不条理な道です。だからこそ、あの時のペトロはあってはならないと考えてしまったのです。ペトロが言ったことばには「神があなたをあわれんで、そのようなことが起こらないようにしてくださるように」というニュアンスがあります。ヨルダン川で洗礼を受けたイエス様が荒れ野で40日を過ごした時、サタンの誘惑が「もっと楽な方法で、自分のもっている力を自分のために用いて、人々を信じさせればよいのではないか?」という意味を持っていたのと同じニュアンスです。サタンの誘惑とは「悪いことだけどやってしまえ」というような単純なことばかりではありません。むしろ、あたかも良いことであるような仮面の下にこそひそんでいる落とし穴なのです。自分の考えや主張は正しいと思い込んでいる人にこそ、危険が潜んでいるものなのです。ペトロは混乱し、困惑し、再びイエス様がわからなくなって途方にくれてしまったことでしょう。しかし、それでいいのです。そこから始まるのです。自分のやりたいことのために人生を費やしていいのだという考え方と正反対の方向にイエス様の主張があるのですから、人間には難しい道なのです。

マルコによる福音書8章31-38節

2021年2月28日

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