聖霊降臨後第15主日

歳とともに耳が聞こえなくなる人、生まれつき耳が聞こえない人、または病気によって耳が聞こえなくなる人がいます。東日本大震災の時に、近所の方から助けられて避難所に来た聾唖(ろうあ)の方がいました。その方はそこで、周りの人が何を言っているのか分からない、支援物資が来てもその事に気がつくことができない、という不便を感じたそうです。しかし、最近では、聾唖(ろうあ)者のために手話通訳のボランティアや文字による掲示がなされるようになって、避難所もだいぶ良くなってきているようです。
今日のみことばは、耳が聞こえず舌の回らない人がイエスによって癒される場面です。イエスは、ティルス、シドン地方という地中海側を周り、それからガリラヤに戻られ、向こう岸であるデカポリス地方に入られます。イエスが宣教された地方は、当時のイスラエルの人々から蔑まれた「異邦人の地」でした。イエスは、その異邦人たちの所に行かれ、おん父の教えを伝え、病人を癒されたのです。
人々は、耳が聞こえず舌が回らない人をイエスのもとに連れてきて、その上に手を置いてくださるように願います。きっと、この人は自分に障がいがあっても周りの人に親切にし、周りの人から慕われていたのではないでしょうか。それで、イエスが来られたことを知った人々がこの人を癒してほしいと思って連れてきたのかもしれません。
イエスがその人を癒されると、「耳は開け、舌のもつれは解け、はっきりと口がきけるように」なります。この人は、ようやく周りの人とスムーズにコミュケーションが取れるようになり、相手の話を聞き、自分の意見も話すことができるようになったのです。
「耳が聞こえない」というのは、私たちの【心の耳】【霊的な耳】と言ってもいいのかもしれません。私たちが三位一体の神の声を聴き、さらに、周りの人に伝えることができるように、イエスに「私の耳が聴こえることができるようにしてください」と祈ることができたらいいですね。

マルコによる福音書7章31-35節

2021年9月5日