聖霊降臨後第17主日

すべての人に仕える者になること。しかも、子どもを中心にして支える態度を重んじること。キリストは弟子たちに対して、大変大事なことを教えています。誰もが子ども時代を経験しています。子どもの頃、私たちも感じたことかもしれませんが、「なぜ大人たちは自分たちのことばかりを考えているのだろう」という疑問が生じます。私たちも、大人が中心となる社会の動きのなかに、子どもも埋没させられていたことを想い出すかもしれません。
子どもの頃の素朴な感情を想い出すことが、自分たち大人の自己中心的な態度を悔い改めるためのきっかけとなるのです。キリストが皆の真ん中に立たせた子どもを見て、弟子たちは自分たちが子どもの頃のことを想い出したのかもしれません。そのようなとき、自己中心的に大人としての立場を推し進めることの愚かさに気づかされるようになるのです。
誰が一番えらいのかを議論する弟子たちは、おたがいに大人のメンツを保つためだけに争っており、自己中心的な態度を極度に推し進めていました。弟子たちには、相手のことをおもいやる気持ちなどはみじんもなかったのです。それは、まさに、子どもの気持ちを忘れて自分たち大人の都合ですべてを押し切る態度そのものです。
今日の旧約聖書では、神に逆らう者たちの立場が描かれています。彼らもまた、自分たちを中心にして世の中を理解しようと息まいています。自分たちの都合を押し通すためには、正しく生きる相手が邪魔になるので、相手を徹底的に排除しようともくろむわけです。
まさに使徒書で言われているように、相手に対するねたみや利己心の誇示が不和を生み出し、平和を妨げることになるのです。相手をおもいやり、支える生き方を選ぶ者は、神のみむねを生きることになります。相手に向かうことこそが、まず第一に必要になります。子どもは親や大人たちに頼らなければ生きることができません。自己主張よりも、相手に信頼してまかせるしか、他に生きるすべがないのです。相手を信頼しようと努力する子どもたちの必死な生き方から学ぶことが、弟子たちの人生の深まりのためには不可欠だったのです。

マルコによる福音書9章30-37節

2021年9月19日