顕現後第3主日
ルカ福音書の冒頭で、ルカは「わたしたちの間で実現した事柄」、つまり、今私たちが読んでいるこの聖書は、小説ではなく、昔からの言い伝えでもなく、約2000年前パレスチナ地方で実際に起こった歴史的出来事である、と言っています。次に「最初から目撃して御言葉のために働いた人々」がいたと述べています。人々は、イエスとの出来事を見、聞き、触れ、味わい、嗅ぎ、体験したことを思い巡らし、それを仲間と分かち合い、その中で見つけた「確実な教え」を実現するために共に働いていたのです。この事実をルカは、まずテオフィロさま、つまり「神を愛する人」「神に愛された人」に伝え、私たちが受けた教えが確実なものであることをよく分かってもらいたいと、強く望みました。
福音書を受け取った、2022年に生きる私たちは、この福音書を使ってどのように祈ればよいのでしょうか。福音を読み、歴史的背景や言葉の意味を理解した後、想像の世界でそれを「目撃した人々」になり、イエスのそばに行ってみてはどうでしょうか。
今日の福音は、ナザレでのイエスのことを語っています。その頃のユダヤはローマの支配下にあり、また一方では誤った律法の解釈によって、多くの人は何重もの苦しみを背負っていました。そのようなとき、皆から「尊敬を受けられた(ルカ4:15)」イエスを一目見よう、教えを聞こう、という大勢の人々で会堂は熱気に満ちていたのではないでしょうか。私もその中の一人として、イエスを見ます。イエスが朗読されるイザヤ書を聞きます。イエスの声は私の身体の中にしみこんできます。そして、自分の考えに捕らわれている私を解放へ、出来事の中の真実が見えない私に視力の回復を、様々な場で圧迫を受けている私に自由をもたらしてくださるイエスに出会います。そして「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と聞いたとき、私の中に確かな力と勇気、希望がわいてきます。それと同時にこの私が2022年に生きているのは、「捕らわれている人」「目の見えない人」「圧迫されている人」のためにイエスと共に働くためではないか、と気づかされます。
ルカによる福音書4章14-21節
2022年1月23日