大斎節第2主日

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」(34節)。これは、イエス・キリストの言葉として記されていますが、むしろ旧約聖書以来の神の姿をよく現しています。美しい表現です。雛は親鳥の保護なしには生きることができません。そのことは、親鳥のほうが雛よりもよく知っています。ですから一生懸命雛を守ろうとします。雛はまだそのことをよくわからないものですから、ひょこひょこと出て行ってしまいます。親鳥はその雛を何度も何度も自分の羽の下に集めようとするのです。申命記には、こう記されています。「主は荒れ野で彼を見いだし、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自分のひとみのように守られた。鷲が巣を揺り動かし雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように。」(申命記32:10~11)
話は広がりますが、この「飛びかけり」と訳された言葉は、旧約聖書で2回だけ出てくる言葉だそうです。あとの一つは、創世記1章2節、「神の霊が水の面を動いていた」の「動いていた」という言葉です。神様が天地を創造されたときの情景は、鷲が雛鳥の巣の上を飛びかけるように、神の霊が混沌とした闇、深淵、水の上を動いていたというイメージと言えるでしょう。そしてそれがさらに、イエス・キリストの働きへと、神様の業を示すイメージがつながっていくのではないでしょうか。
詩編91編にもこういう言葉があります。「神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。
神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。」(詩編91:3~4)。
神様の真実が私たちを守る盾である。神様はその羽の下に、羽の中に私たちを覆って、かばってくださる。神様の思いやり、人を救おうとする思いが、こうした言葉によく表れているのではないでしょうか。

ルカによる福音書13章31-35節

2022年3月13日

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