復活前主日
十字架の道を歩まれるイエス。そのイエスを取り巻く議員の言葉に、目が留まりました。
「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」。また、兵士もこう言います。「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」共に十字架にかけられていた犯罪人の一人もこう言ってイエスを罵ります。「おまえはメシアではないか。自分と我々を救ってみろ。」十字架の苦しみを受けられるイエスが示してくださる救いとは、一体どのようなものなのでしょう。そんな思いを心に抱きながら、今日の福音でイエスが語る3つの言葉に、よく耳を傾けてみたいです。
この3つの言葉が私の心に深く響いていくように、祈りをこめて。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
「はっきりいっておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
イエスが私たちすべての人に示してくださる救いは、赦し、共に「居る」こと、御父の手の中に自分を委ねること。
この3つのことは、私たちが、人生の歩みの中で常に大事にしたいことだと思います。
イエスが今日、私たちに示してくださった救いは、イエスが十字架の苦しみと死を通して、私たちをみな、誰一人として取り残すことなく御父の最愛の子として、共に、天国へ迎え入れてくださる救いです。見失った子羊を見つけて、喜んで肩に担いで戻ってくる羊飼いのように、十字架の重荷をご自分の肩に担いで、救いを示してくださるのです。
今日一日、イエスの歩みに寄り添いながら過ごせますように。
詩編131のみ言葉を胸に抱きながら。
「主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。
大き過ぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように
母の胸にいる幼子のようにします。」
ルカによる福音書23章1-49節
2022年4月10日