聖霊降臨後第6主日

マルタの名前を繰り返し呼んで、かぎりない愛情をこめて関わるイエス・キリスト。彼は同時に、マリアの成長段階をも見究めようとしています。イエス・キリストは常に相手を主役として丁寧に支えます。それぞれの人の必要性に応じて。このような姿勢こそが、まことの「もてなし」です。イエス・キリストこそが「もてなし」の姿勢を最上のかたちで実現させるのです。
マルタもマリアも自分たちの望みで手一杯です。相手の気持ちをありのままに受け容れるだけのゆとりがありません。
つまり、人間はいくら努力したとしても完全な「もてなし」を実現することができないのです。それで、マルタもマリアも、イエス・キリストからの「もてなし」をいただくだけです。
「キリスト」こそが完全な「もてなし」を実現させるだけの深い愛情を心の底にみなぎらせて生きています。
マルタのような多忙な活動主義やマリアのような静かな観想主義は、それぞれに長所もありますが、限界もあります。
しかし、イエス・キリストの態度から学べば、どのような相手のことも気づかう幅広い心のもち方と行動の仕方を身につけることができるようになります。旧約聖書でも「もてなし」の重要性が述べられています。アブラハムは自発的に相手に近づいて食事を出そうとします。相手を気づかう積極的な姿勢は、ちょうどイエス・キリストがマルタやマリアに対して個別にこまやかな関わり方を深めて対応する丁寧さと共通性があります。
アブラハムの物語は信仰者としての真剣な生き方を読者に自覚させます。そのアブラハムの子孫からイエス・キリストも生まれ出て信仰者としての真剣な生き方を確かに表明しています。心を込めた「もてなし」の伝統は、イエスの弟子たちにも受け継がれて今日の私たちキリスト者にも伝わっています。

ルカによる福音書10章38-42節

2022年7月17日