聖霊降臨後第7主日

イエスは「主の祈り」を教えてくださいました。私はある方から「主の祈り」のひとつの祈り方を教えていただきました。
まず心を静め、ゆっくり主の祈りを心の中で、1、2回唱えます。そして、自分の心にどの言葉が響いたか、腑におちなかったのかを確かめます。そしてその祈りの言葉を黙想するという方法です。気になった箇所は、その時の私のありようを表すものでした。それについて分かち合いましょう。
ウクライナの悲惨な光景が毎日報道されているとき、「み国が来ますように」という言葉が響きました。世界中で起こっている紛争で苦しむ人々のために祈り、私に何ができるのかを黙想しました。そして、今私がイエスと共に自分自身の苦しみにも誠実に向き合い、聖霊の助けによってその苦しみを受け取り生きるとき、世界中の苦しむ人々とつながることができるのではないか。また、神は今この時、平和を求め、探し、平和に続く門をたたいている人に聖霊を送り、み国の実現へと働かれている、という気づきをいただきました。
自分の罪深さに心が沈んでいるとき、「わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します」という言葉が心に残りました。「私の罪を赦してください」と祈っていると、私は「見失った羊のたとえ(ルカ15:1-7)」の羊になっていました。私が不安と恐れに震えていると、羊飼いは私を見つけてくださり、私を抱き上げてくださいました。イエスはずっと前から私を探していてくださり、見つけ、抱きしめてくださる方だと気がつきました。またイエスは私に、真の愛を「探す者」になるよう励ましてくださり、聖霊を送り友への愛の行いへと導いておられると気づきました。
日々祈っているのに、求めるものが与えられず悲しくなることがあります。み言葉は「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と語ります。私たちが祈りの内に生きるとき、求め、探すものにつながる聖霊が、出来事の中に、人との関わりの中に、生活そのものの中に、すでに与えられているのではないでしょうか。

ルカによる福音書11章1-13節

2022年7月24日