聖霊降臨後第8主日
メメント・モリ———死を忘れるな。
わたしたちは死と隣り合わせであるはずなのに、あたかも自分の死はどこか遠くにあると思って、いい加減な毎日を過ごしている。そんなわたしたちへの戒めの言葉。メメント・モリ、死を想起せよ、死を忘れちゃいけない。古い西洋の絵の中には、動く骸骨と生きた人間とのやり取りであったり、聖人が祈っている御絵に頭蓋骨が置かれているテーブルが描かれていたり、若い頃から不思議だなぁと思っていたが、今思えば、それらすべて、メメント・モリ。「死を忘れることなく生きよ」というメッセージが込められていたことに気づく。
そう気づけるようになったのも、自分が年を取ったからなのだろうか。
もしかしたら、若い頃はあえて死について考える必要がなかったのかもしれないし、死は怖いもの、無意識的に避けたいと思っていたかもしれない。
今日の福音はまさしくそのメメント・モリの箇所だ。
わたしたちは決して死に抗えないということがたとえ話で語られている。人の命と財産の対比によって、イエスが最も大事にしている価値を伝えようとしているのだが、そのメッセージを受け入れるためには、根本的に死という事実を受け入れなければならない。
「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。」
このような言葉にいったい誰が耐えられるというのか。誰が、こんなことを言われて冷静でいられるだろうか。「今夜」という近い未来を匂わせる語が闇を示しているだけに、絶望の深さがどれほどのものかが思い知らされる。
だから、今、生きているこの時。
光の中で、意識ある時に、闇をも切り裂く神さまの愛をどれだけ経験しておくかが問題である。わたしにできる最大限のことが何なのかを、最低限知っておくことだろう。たとえそれを経験していなくても、最低限知っておくために、独り言のように「メメント・モリ」とつぶやいてみることだろう。
ルカによる福音書12章13-21節
2022年7月31日