三位一体主日・聖霊降臨後第1主日

私たちが人を【信じる】というのは、どのようなときでしょうか。その人が、正しいことを伝え、行いも正しいことをしているときに、私たちはその人を【信じる】ことができるのでしょうか。逆に、相手が言っていることがもしかしたら、間違いかもしれなくても、その人が言っていることなら【信じる】ということがあるのではないでしょうか。
私たちが人を【信じる】というのは、相手に対して好意を持っているか、または、【愛】しているかということではないでしょうか。そして、お互いに関係を築きながら【愛】が深まり、さらに【信じる】ことが【信頼】に変わっていくのではないでしょうか。
ヨハネによる福音書の3章には、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が1人も滅びないで、永遠の命を得るためである」というイエスの言葉があります。では、この【信じる者】とは、どのような人たちでしょうか。ヨハネ福音書の1章には「言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人には神の子となる資格を与えた」(ヨハネ1・12)とありますように、イエスを受け入れた人のことと言ってもいいでしょう。
このヨハネのみ言葉は、「神は、独り子を……」とありますように、すべて主語は【神】であります。おん父は弱くて貧しく、すぐに罪を犯してしまう私たちを愛され、ご自分の独り子を、私たちが救われるために遣わされました。私たちは、洗礼の恵みを受けたときに、信仰宣言の中で「信じます」と誓いました。そして、聖餐式の中の信仰宣言の中でも「信じます」と唱えています。
私たちがイエスを受け入れ、「信じます」と宣言しているということを、今一度振り返ってみたいものです。そして、私たちに永遠の命を得させるため、独り子を遣わされるほど私たちを愛されたおん父に、感謝と信頼をもって日々の生活を送ることができたらいいですね。

マタイによる福音書28章16-20節

2023年6月4日

主日の福音から

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