聖霊降臨後第3主日
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」というイエス・キリストの呼びかけには、私たち人間に反省を迫る迫力がみなぎっているようです。
私たちひとりひとりは決して自分の力で生きているわけではありません。いのちを始めとして、すべては神からいただいた贈りものです。驚くべきことに、私たちにとっては自分で得たものはひとつもありません。私たちは常に神によって生かされているにすぎません。
神はいつでも寛大です。神はご御自分のすべてを人間に与え尽くそうとします。イエス・キリストは神のひとり子として、神と同じような寛大さで人間に呼びかけます。イエス・キリストによって12人の弟子たちが特別に呼び出されたのは、神からの恵みを与えるためでした。まず、弟子たちがキリストをとおして神からの恵みをいただき、そうして信仰を強められた弟子たちが、他の人びとに神からの恵みを伝えることになるわけです。その弟子たちの流れをくむのが私たちキリスト者です。私たちもまた、他の人びとに神からの恵みを伝えるように招かれているのです。
私たちは、神の聖なる民として寛大な姿勢で生きることで、周囲の人びとを聖なる民に変貌させる奉仕者です。誰かによいものを与えて、ともによろこぶために私たちは神からのいのちを授かりました。与え合う現実を生きるために、いのちに満ちた生活が始まるのです。
マタイによる福音書9章35節~10章8節
2023年6月18日