聖霊降臨後第7主日
種をまく人は、平等に、あらゆる土地に種をまきます。しかし、いのちの可能性を秘めている種は、受け容れ先の状況に応じて異なる結末を迎えることになりました。
私たちも神からいのちをいただきました。いのちという種をいただいた私たちも、どのような環境で生きるかどうかで、異なる結末を迎えます。
どのような環境が種の生育に適しているのでしょうか。どのような環境がいのちの開花に適しているのでしょうか。それは、「良い土地」です。マタイ福音書では、イエス・キリストの口から「良い土地」という理想的な答えが示されています。
私たちの心は、果たして「良い土地」となっているのでしょうか。もしかしたら、「道ばた」か「石だらけで土の少ない所」か「茨のあいだ」か、過酷な状況となってしまっているのかもしれません。
神の呼びかけは、今日もまかれています。神からの愛情のこもった呼びかけは、まさに種です。その呼びかけを、どのように受け留めるかどうかで、私たちの価値が決まります。ていねいな受け留めかたが大事となります。「耳のある者は聞きなさい」というイエス・キリストの呼びかけは「あなたは神からの愛の言葉をどのように受け容れるのでしょか」と問いかけているかのようです。
ひとりひとりの人間の心のおもいが、ていねいに相手を受け容れる「良い土地」のような状況となっていれば、ひとりひとりの将来も明るいものとなります。そういう共同体の在り方が社会の方向を決めます。
神からの愛の呼びかけという種は決して無駄にはなりません。「わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない(イザヤ55:11)」というイザヤ書の一節からもわかります。
「うめきながら待ち望む。」神からの愛の呼びかけという種を、いったいどのように受け留めるべきかを、私たちは絶えず自問自答しつつ、今日も理想的な自分の心ができあがる日を待望するのです。
マタイによる福音書13章1-9、18-23節
2023年7月16日