聖霊降臨後第8主日
イエスは「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」、また「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」とおっしゃいます。このたとえ話を静かに想像しながら祈ってみました。小さな種は大木となりたくさんの枝に青々とした葉が茂り、小鳥や生き物たちが集まり命にあふれています。強い風雨、日照りのときも凛とした姿で立っています。パン種で膨れたパンはたくさんの人々の心と身体を豊かに満たしています。そこは神の恵みにあふれた天の国。想像の世界から離れ、自分に目を向けてみます。「私の内にこのような種があるのだろうか」と祈ってみました。
私の内には、優しく命に寄り添う姿、どんな逆境にも耐え静かにその場にある強さ、人々の心身を豊かに満たす暖かさなどに至る「種」は見つかりませんでした。それどころか、年をとり、できないことが増えていく私を見、社会や教会で活躍する人々をうらやむ私を見、自分の弱さと罪深さを痛感することになりました。
その後、自分の弱さ、罪深さを心の奥深いところで受け入れ祈っていたとき、「これが種かもしれない」という気づきがわきあがってきました。
常に注がれている神の愛による赦しと癒しによらなければ、人間が持つ罪、弱さに平和は訪れないのではないでしょうか。この私たちが持つ「弱さ」を認め、神のアガぺの愛を受け取り、信頼し希望を持って復活されたイエスと共に生きていくとき、「どんな種より小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣に巣を作るほどの木になる」という「たとえ話」が今この時、実現するのではないでしょうか。
マタイによる福音書13章24-30、36-43節
2023年7月23日