主イエス変容の日

最近、「推し活」という言葉をよく耳にします。それは、自分の一推しの人やキャラクターに対して全力で応援することのようです。ある一人の信者さんがTwitterで、「私たちの【推し】はイエス・キリストですね」とつぶやいていました。確かに、洗礼の恵みをいただいている私たちにとって、イエス・キリストは最高の【推し】と言ってもいいでしょう。
きょうのみことばは、【主の変容】の場面です。イエスは、ご自分がどのように死に、また復活するかを弟子たちに最初に伝えた後、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られます。そこでイエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなります。さらに、モーセとエリアが現れ、イエスと語り合い始めました。ペトロはそのような光景を目にして、ついつい「主よ、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしたちがここに仮小屋を三つ建てましょう」と口を挟んでしまいます。ペトロは、このような状態を長い時間保ち続けたいと心から思っていたのでしょう。
しかし、そのような状態は長く続きませんでした。おん父は弟子たちに「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」と雲の中から語りかけます。イエスが変容してモーセやエリアと語り合うような「神的場面」を見ることは恵みであって、私たちが望んで体験できることではありません。むしろ、おん父が言われる「これに聞け」と言う言葉が大切なのではないでしょうか。
私たちは、ついつい華やかな場面に固執してしまいますが、そうではなく、私たちの【推し】であるイエスが言われることに耳を傾け、イエスと共におん父の方へと歩み続けることができたらいいですね。

ルカによる福音書9章28-36節

2023年8月6日