降臨節第3主日
救い主イエス・キリストが到来する準備段階において「あかし」をつづけた洗礼者ヨハネの働きぶりは、めざましいものでした。洗礼者ヨハネ自身は常にキリストの到来の準備をするにすぎないことを、じゅうぶんにわきまえていました。それゆえに洗礼者ヨハネは決して目立とうとはしませんでした。その謙虚な姿は、あとから来る主役を引き立てるための前座を務めることで満足するようなつつましやかなものでした。「あかし」とは、いのちがけで全身全霊を賭して主役を引き立てる体当たりの紹介のための活動の仕方です。
降臨節は主イエス・キリストの到来を待つひとときです。その際に、私たちも洗礼者ヨハネの謙虚さをみならう必要があるでしょう。主役はイエス・キリストであり、私たちも前座を務めて準備に余念がない生活をつづけるように生まれてきたからです。
旧約聖書のイザヤ書で述べられているように、「私たちは主によって喜び楽しむ」のであり、まさに主役のキリストのそばでともに生きることができる奇跡を感謝して受け留める心構えを意識することが必要です。大切な相手を待ちわびて、ようやくともに過ごせるようになったときの喜びは、えも言えぬほどの大きな満足感をもたらします。その幸いなる実感は神からの「よい知らせ」として私たちの心の底にゆっくりと染み渡ります。イザヤ書の内容と同様のことは初代教会の始まりの時代においてもパウロが丁寧にまとめていることからも伝わってきます。テサロニケの教会への手紙において、パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と述べているとおりです。つまり、キリストとともに生きる喜びは祈りによって増幅されて、生きることそのものを感謝の念で満たすのです。喜びと祈りと感謝は常につながって連動します。ということは、どれかを手がかりにして他の要素も生じてゆくことになるのです。喜んでいれば祈りの気持ちが生じて感謝を深める生活が実現します。祈りの日々において、あらゆることに感謝して喜ぶことができるようになります。感謝を深めていると、おのずと喜びの実感がふつふつと心の底からわいてきます。
ヨハネによる福音書1章6-8、19-28節
2023年12月17日