聖霊降臨後第5主日

イエスに誘われ、イエスと共に弟子たちは群衆を岸に残して、舟で異邦人であるゲラサ人の地に向かう。ガリラヤ湖は、北方に高い山をいただき、北の高い山々が急に雨雲におおわれ、雷がとどろくと、突風が高い山々から湖面に吹き落ち、荒れ狂う。そして、船と漁師たちを襲う!「激しい突風が起こり……。」古代の人々にとって、海は恐ろしい破壊力をもつ神的な存在でもあった。ペトロとその仲間たちは経験豊かな漁師であったが、そのときの嵐と突風は彼らの力を遥かに超えていたようだ。「舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。」
マルコは「艫の方に眠っているイエス」と、「危険の中で怯えている弟子たち」 のコントラストを強調する。「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか。」
福音書の中では、海は悪霊の領域を意味しており、イエスは汚れた霊に対するのと同じように 「黙れ、静まれ」 と命じる。 そして、「風は やみ、すっかり凪になった。」イエスの権威ある言葉によって悪の領域である海は治められる。
たまに、私たちの人生にもこういう時、時期がある。イエスが眠って、何もしてくれないように感じる。時間だけが無駄に過ぎてゆくように感じる自分の自律神経、あの人の病気の治療、この人の回復、リハビリなど長い、長過ぎる、しんどい、怖い。
しかし、その後に、やはりあの湖の嵐の時のように、イエスは起き上がって、苦悩の風を叱り、「黙れ、静まれ」と言われる。 すると、風はやみ、すっかり凪になる。そして私たちにも言われる。「なぜ怖がるのか。 まだ信じないのか。」
イエスは弟子たちの不信仰を戒める。ここでイエスを通して、神に信頼して生きるかどうかが、問われている。象徴的な意味でも、(教会という船の中で) イエスが共にいてくれることを見失いそうになったときに、この弟子たちの体験を思い出そう!
弟子たちの驚きの反応と問い。「この方はどなたなのだろう。」風を従わせる主としてのイエスの姿を心にとめるようにマルコは読者たちに諭している。人生の嵐の時にそれを思い起こし、共に主に祈りたい。

マルコによる福音書4章35-41節

2024年6月23日