聖霊降臨後第7主日

私たちは、先入観や偏見で人を見てしまうという傾きを持っています。しかし、そのような傾きは、その人の目を曇らせ、自分の都合、自分の見方という「エゴ」から相手を判断するという危険性があります。
今日のみことばは、イエスが弟子たちと共にナザレに帰られ、安息日に会堂で教え、奇跡を行われる場面です。人々は、イエスの教えを聞いて驚き、「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」と言います。彼らは、イエスのことを小さい頃から知っていますし、きっとイエスと一緒に子どもの頃に遊んだ友だちもいたことでしょう。彼らにとってイエスは、身近な人であり、家族、親戚も自分たちと一緒に生活をしている存在でした。
彼らは、イエスが自分たちともに育ち、大工の子であり、特別な教えを学んだことがないのに、彼の「権威ある新しい教え」(マルコ1:27)を聞いて驚いたのです。彼らは、大工の子であるイエスが、「このような教えや奇跡ができるはずがない」という先入観や偏見で見ていたのです。ですから、彼らはイエスの教えや奇跡が神から来ていることまで考えが至らなかったのです。
私たちは、一人ひとり三位一体の神から愛され、恵みをいただいています。その恵みによって「自分の力」ではない【何か】が働いて外に現れることがあります。しかし、周りの人は、「それがなぜなのか、なぜこのようなことができるのか信じられない」と思ってしまうのです。
まず、私たちが先入観や偏見にとらわれることなく、ありのままの【今】のその人のことを受け入れ、その人と共に働いておられるイエスを見ることができたらいいですね。

マルコによる福音書6章1-6節

2024年7月7日