聖霊降臨後第12主日

今日の福音で、イエスは「わたしは命のパンである」と言われます。パンは、いのちを生かすもの、生かす力です。
パウロがエフェソの教会への手紙で語っている次の言葉が心にひびきます。
「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」
自分も他の人も大切にすることができたとき、自分のいのちも他の人のいのちも輝いていきます。互いのいのちを大切にし、いのちが輝くようにと願い生きるために、いのちの支え・いのちの力となるものがどうしても必要です。イエスは言われます。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。 」
イエスのうちにいのちの輝きがあり、イエスを私たちのうちに迎え入れ、私たちがイエスと共に生きようとするとき、イエスのいのちの輝きが私たちのうちにともされます。
ある詩人がこのような詩を書いているのに目が留まりました。注*
「イエスの名を呼びつめよう
入る息、出る息ごとに呼びつづけよう
いきどおりがわいたら
イエスの名で溶かそう
弱くなったら
イエスの名でもりあがって強くなろう
きたなくなったら
イエスの名できれいになろう
死のかげをみたら
イエスを呼んで生きかえろう」
イエスのいのちの輝きは、夜の暗やみの中で輝くホタルの光のようなものかも知れません。静かでやさしく、暗やみの中にいても、希望と喜びと平和を与えてくれる光です。
イエスのいのちの光が、私たちの心を照らし、互いのいのちを大切にし合う平和の道へと導いてくださいますように。
注* :  八木重吉全詩集2 『詩集- 貧しき信徒・詩稿Ⅲ』  筑摩書房 1988年8月30日発行 P283 【欠題詩群】イエス

ヨハネによる福音書6章37-51節

2024年8月11日