聖霊降臨後第15主日
私たちは時々「何かをうっかり」してしまう、ということがあります。たとえば、何か考え事をしていたり、心配事を抱えていたり、あるいは、疲れていたときに、普段はしないようなことを【うっかり】してしまいます。
今日のみことばでは、汚れた手、つまり洗わない手で食事をした弟子を、エルサレムから来たファリサイ派の人々や律法学者が咎める場面から始まっています。この弟子は、普段は手を洗ってから食事をしていたことでしょうが、その日に限って手を洗わずに食事をし始めたのではないでしょうか。よっぽどお腹が空いていて、【うっかり】食事をし始めたのかもしれません。
ちなみに、ここでいう「食事の前に手を洗う」というのは、私たちが行なっている、衛生的な面での「手洗い」ではなく、ユダヤ教の慣習で聖なるものとされていた食事をする前に、穢れから身を清める、という意味合いが強いものです。
彼らは、それ見たことかと鬼の首を取ったように「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」と言ってイエスに攻め寄ります。このことを聞いた弟子たちは、どう思ったでしょうか。自分たちが【うっかり】手を洗わずに食事をし始めたばっかりに、師であるイエスが責められてしまったのです。きっと、もうしわけない気持ちでいっぱいだったことでしょう。
イエスは、弟子たちの気持ちを感じながら、ファリサイ派の人々や律法学者たちに「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」と指摘されます。
イエスは、【うっかり】して食事を始めた弟子たちの行いを通して、ファリサイ派の人々や律法学者たちの神から離れている状態を指摘するとともに、もっと大切なことがあることを伝えられます。
イエスは、たとえ私たちが【うっかり】してしまっても、その物事を通して、大切なおん父に向かう心を気づかせてくださいます。私たちは、このイエスのアガペの愛に感謝して日々を過ごすことができたらいいですね。
マルコによる福音書7章1-8、14-15、21-23節
2024年9月1日