聖霊降臨後第20主日

時々男女の出会いのことを、「赤い糸で結ばれている」とか「運命的な出会い」という表現を使うことがあります。そして、このような出会いで結ばれた二人がやがて、結婚し子どもが生まれ、家庭を築いていきます。そして、この家庭から生まれた子が新たな家庭を築き、今の【私】が生まれたのです。
ある方が「結婚は、他人同士が巡り合い結ばれるもので、ほとんど奇跡に等しいのです」と言われたことがあります。まさに、【結婚とは神の業】と言ってもいいでしょう。もちろん、職場や大学などでの出会いや、最近では、インターネットを通じての出会いもあるかもしれませんが、たとえそのような出会いであっても、その後ろで働かれているのは、神の業なのです。
きょうのみことばは、ファリサイ派の人々がイエスの所へ近寄って「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねる場面から始まっています。彼らは、イエスを試そうとしてこのような質問をしますが、きっと、彼らの中でも【離縁】については、議論の対象になっていたのでしょう。彼らは、もしイエスが「離縁をしてはいけない」と答えると、「結婚生活の中で苦しんでいる人々を蔑ろにする」ことになりますし、「離縁をしてもいい」と答えると、「離縁を正当化する」ことになるからでしょう。
イエスは、そのような彼らの「試み」をご存知だったのです。イエスは「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返されます。彼らは律法の専門ですから、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えます。彼らは、あくまでも【離縁】を正当化しようとしたのでした。
イエスは、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。……神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と言われます。私たちは、時々、結婚生活の中で、「神が結び合わせてくださった」ことを忘れてしまいます。みことばを通して、【結婚生活】の中で働かれる【神の恵み】を振り返ってみることができたらいいですね。

マルコによる福音書10章2-9節

2024年10月6日