聖霊降臨後第22主日
イエス・キリストは弟子たちをたしなめます。その際、イエス・キリストは「あなたがたの中で偉くなりたい者は」という言い方や「いちばん上になりたい者は」という言い方を、あえて選んで語ります。弟子たちが、どうしても偉くなりたい、あるいは上になりたいタイプの人間たちであることをイエス・キリストが熟知しているからなのでしょう。
イエス・キリストは相手の状況をありのままに理解してから、相手がどうしても目指してしまう人間的な方向性をそのまま用いています。イエス・キリストは弟子たちに対して「偉くなってはいけません」とか「いちばん上になってはいけません」という禁止命令を一切出していないのですから。弟子たちの傲慢な性格が、そう簡単には治らないことを、イエス・キリストはじゅうぶんに理解しているのです。それで、あえて弟子たちの上昇志向の性質をうまくたくみに用いて助言を与えたのです。
おそらく、弟子たちは素朴に元々の性格のままで上に昇ろうとするはずです。しかし、弟子たちは「皆に仕え」、「すべての人の僕となる」ことに没頭することでしょう。弟子たちは、偉くなり、いちばん上になるために、必死になって「皆に仕え」、「すべての人の僕となり」続けるわけです。最初は自分の都合で取り組んでいたことが、次第に相手に仕えて僕となることの意味深さを理解するような回心へと徐々に変化する流れを、イエス・キリストは期待して、見守っているのでしょう。これがイエス・キリストによる弟子たちに対する独特な教育でした。
「献げもの」としての生き方を選ぶ救い主の姿を描いている箇所が聖書の中にはよく出てきます。これらは、他者の罪をすべて背負って、他者を正しい者として活かすための「いけにえ」として祈る、へりくだりの姿勢が信仰深い者のまことの歩みとして強調されています。その生き方はイエス・キリスト御自身が選んだものでした。そして、他者を正しい者として活かす伝統を途絶えさせないために、イエス・キリストは弟子たちを呼び集めて後事を託したのです。しかし、弟子たちはイエス・キリストの生き方の意味を理解できないままでした。そこで、イエス・キリストは独特な教育を施したのです。
マルコによる福音書10章35-45節
2024年10月20日