聖霊降臨後第23主日
マルコ福音書の後半(マルコ8・27)から始まったイエスとその弟子たちのエルサレムへの旅がマルコ11・1で終わる。その旅に先立って、イエスはある目の見えない人に、少しずつ視力を与えた(マルコ8・22-26参照)。最後の町、エリコをまさに出て行こうとするその時、エルサレムへの旅が終盤に差し掛り、そしてイエスはバルティマイという盲人に出会い、視力の回復を与える。
毎日、道端に座って、物乞いをしていた盲人バルティマイの話を味わってみよう。イエスが、エリコという町を出て行こうとするその日、その時まで、この盲人の話を真剣に聞く人は誰もいなかっただろう。孤独と長い暗闇の中から、光を求めていたバルティマイに新しい出会いのチャンスが訪れた。彼には「ナザレのイエスという先生がお通りだ」という噂が群衆の騒ぐ声と興奮で分かった。盲人はこの先生イエスに「ダビデ王の子孫から出てくるメシア・救い主」を重ね合わせる。彼は叫ぶ。「“キリエ、エレイソン”、主よ、わたしを憐れんでください!」無力と苦しみの体験から生まれ出た彼の物乞いのことばは、イエスに響いて本物の救いを求める叫びに変わっていった。
人々には、いつも邪魔で迷惑な叫びにしか聞こえなかったパルティマイの声がナザレのイエスの心を強く打つ。イエスの憐れみが周りの人々の妨げを退け、必死に救いを求めるバルティマイとの出会いを開き、彼を癒す。盲人の強い信仰に心を打たれるイエス。イエスは「あの男を呼んで来なさい。何をしてほしいのか」と言われる。イエスとの出会いによって救われ、何もかも見えるようになったバルティマイはマルコにとって、イエスの道に従う弟子のモデルとなる。
人生の道端に座る時、この盲人のようにイエスとの再会を求め、上着を脱ぎ捨て、本音で、「先生、目が見えるようになりたいのです」と叫び続けたい。イエスとの出会いの中で「見えるようになりたい人」に「本当の視力」が与えられる。イエスはここで、この人の自分への信頼が救いにつながっていることを強調する。信仰の目で見えるようになった人はイエスの道に従うことができる人になる。
マルコによる福音書10章46-52節
2024年10月27日