顕現後第3主日

私たちは、偶然開いた聖書や毎日読む福音の中に、今の私に向けられた、霊に満たされたイエスの御言葉に出会うことがあります。
「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に開放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」を体験し、あまりの不思議さ、神の慈しみと愛の深さに驚き感動したことを思い出しました。
しかし、御言葉を読んでも何も感じないことがよくあります。なぜでしょうか。「その評判が周りの地方一帯に広まった」とあります。私たちはその評判だけを頼りに、自分の場、私の日常生活の思い煩いや自己中心的な考え、傾きの場で御言葉を読んでいるのではないでしょうか。御言葉を読む前に、少しの間沈黙し、静まりの時を持ち、自分の場から離れることはとても大切だと感じます。そして一人一人の内にある深い静まりの場、神との交わりの場で御言葉をイエスから直接聴いてみてはどうでしょうか。
「イエスは巻物を巻き、係の者に渡して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。」私たちは御言葉を受け取ったら、会堂にいる人のように、私と共に座ってくださるイエスを静かに見つめる必要があるのです。
「そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」イエスはそこからまた私たち一人一人に、話し始めてくださるのです。
神との交わりの場で、御言葉を読み、受け取り、イエスを見つめ、イエスの話を静かに聴く祈りの時を大切に歩んでまいりましょう。

ルカによる福音書4章14-21節

2025年1月26日

主日の福音から

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