復活日

「この話はたわごとのように思われたので」という一節は、私たちにショックを与えます。使徒たちは女性たちの話を真剣に聴こうとしていませんでしたので。使徒たちは相手の話を「たわごと」として「信用しなかった」のです。
イエス・キリストとの出会いと関わりを大切に生きていた女性たちの話が「たわごと」として無視され、イエスの後継者としての使徒たちが「信用しなかった」のが、二千年前の復活の出来事の際の現実でした。
今日の私たちも気をつけなければ危ういです。相手の話を「たわごと」として軽く聴き流してしまい、決して「信用しなかった」ということになりかねないからです。
しかし、イエス・キリストの復活は決して「たわごと」として片づけられないものであり、「信用しなかった」使徒たちのような態度とは無縁の出来事です。相手を大切にするイエス・キリストの出来事が「たわごと」であるはずがありません。そして、イエス・キリストは常に女性たちを信用しつづけていました。本気でイエス・キリストと出会って関わる者たちにとっては、「たわごと」という発想は一切なくなり、相手を信用することが基本的な態度となるからです。
ところが使徒たちは相手の言葉を「たわごと」として無視したばかりか、相手を「信用しなかった」のです。ということは、使徒たちは本気でイエス・キリストを理解しようとしていなかったのですし、本気で女性たちの話を聴く態度を心がけようともしていなかったことが明らかとなります。
私たちは、どうでしょうか。本気で相手と向き合っているでしょうか。本気でイエス・キリストと出会い、関わりを深めようとしているでしょうか。
相手との本気の出会いと関わりを生きることを、相手を信用することを、いまこそ見直すときです。本気の態度を選んで生きることが、復活を受け留めるための新しい人生の第一歩となるのです。

ルカによる福音書24章1-10節

2025年4月20日